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僕たちは、自分にどんな適性や潜在能力があるかを知らない。
でも、「この仕事をやってください」と頼まれることがある。
あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだ、
そういうふうに考えるように学生には教えてきました。
仕事の能力については自己評価よりも外部評価の方がだいたい正確です。
頼まれたということは外部から「できる」と判断されたということであり、
その判断の方が自己評価よりも当てになる。
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武道というのは与えられた環境でベストパフォーマンスを達成するための
心身の工夫のことです。戦場に投じられた時に、
「こんな戦力じゃ戦えない。やり直せ」と要求することはできません。
手持ちの資源をやり繰りして、何とかするしかない。
結婚も就職も、ある意味では「入れ歯」と同じです。
自分自身は少しも変わらず自分のままでいて、それにぴったり合う
「理想の配偶者」や「理想の職業」との出会いを待ち望んでいる人は、
たぶん永遠に「ぴったりくるもの」に出会うことができないでしょう。
「どんな相手と結婚しても、そこそこ幸福になれる人」は
「理想の配偶者以外は受け付けられない人」より市民的成熟度が高いと僕は思います。
親族というのが「それが絶えたら共同体が立ち行かないもの」である以上、
「大人」とはそういうものでなければ困る。
仕事だってそうです。
「どんな職業についても、そこそこ能力を発揮できて、そこそこ楽しそうな人」こそが
成熟した働き手であり、キャリア教育はその育成をこそ目指すべきだと僕は思っています。
自分にどんな能力があるかなんて、実際に仕事をしてみなくちゃわからない。
分かった時にはもうけっこうその道の専門家になっていて、
今さら「別の仕事に就いていたら、ずっと能力が発揮できたのに…」というような
仮定の話はする気もなくなっている、というものではないでしょうか。
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仏文学者になることも、 武道家になることも、二十歳の時は
全く予想もしていませんでした。でも、もののはずみで、それが職業になりました。
なった以上、そこでベストを尽くす。
そんなふうにして人間は「天職」を自作してゆくものではないかと思います。
卒業して、社会人になったら、学ぶことは終わってしまうわけではありません。
学びはエンドレスです。
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つねづね申し上げていることですが、学ぶ力には三つの条件があります。
第一は自分自身に対する不全感。自分が非力で、無知で、
まだまだ多くのものが欠けている。
だから、この欠如を埋めなくてはならないという飢餓感を持つこと。
第二は、その欠如を埋めてくれる「メンター(先達)」を探し当てられる能力。
メンターは身近な人でもいいし、外国人でも、故人でも、本や映画の中の人でもいい。
生涯にわたる師でなく、ただある場所から別の場所に案内してくれるだけの
「渡し守」のような人でもいい。自分を一歩先に連れて行ってくれる人は
すべてたいせつなメンターです。
第三が、オープンマインド。人をして「教える気にさせる」力です。
素直さと言ってもいいし、もっと平たく「愛嬌」と言ってもいい。
この三つの条件をまとめると、
「学びたいことがあります。教えて下さい。お願いします」
という文になります。
これが「学びのマジックワード」です。
これをさらっと口に出せる人はどこまでも成長することができる。
この言葉を惜しむ人は学ぶことができません。
学ぶ力には年齢にも社会的地位にも関係がありません。
これから仕事に就くみなさんのご健闘を祈ります。
がんばってください。