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だが、人間が「ほんとうは何ものであるか」というようなことは
どうでもよろしいのである。
どういうふうな人間だと「思われたいか」を軸に記憶も、
コミュニケーションも構造化されている。
ほんとうは邪悪な人間なのだが、ひとから「善人」だと思われたくて、
必死に善行を積んでいる人は「みなし、善人」である。
私はそれでよろしいと思う。
ほんとうは善い人なのだが、自分が善良であることにすっかり満足して、
善良であることを証明するための努力をしないので、
外形的にはきわめて不愉快な人物(けっこうたくさん、いる)は
「みなし、厭な人」である。
そして、社会は「みなし」を軸に展開する、ということで
よろしいのではないかと私は思っている。
というわけで重ねて申し上げまするが、対談およびインタビューのゲラは
「データ」で送ってください。ほとんど全部書き直してしまって、
原型をとどめませんが、如上の事情をご諒察の上、どうかご海容願います。
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校正地獄(内田樹の研究室)より抜粋